【平成回顧録】たまごっちと、わたし

たまごっちは、私の記憶の中ではいつも「少し離れた場所」にあった。

平成生まれでありながら、流行の渦中にいなかった私。興味がなかったわけではないが、コロコロコミックを読めば消し飛ぶ財力では夢のまた夢だった。かといって当時の男児社会にとってベイブレードのような「参加しなければならない」といった空気感もなく、親に頼み込んで買ってもらうほどの物でもない。

妹は、いつの間にかそれを持っていた。しかも、私が知らないうちに。

触らせてもらったことはあるが、正直なところ、あまり楽しいものではなかった。もし当時、友人がたまごっちの話で盛り上がっていたら、あの「うんこ処理」に私は楽しみを見出していたのだろうか。

ほぼ無縁だったからこそ、後になって気づくこともある。たまごっちは「やる人」と「やらない人」をはっきり分ける玩具だった。参加すれば日常に割り込んでくるし、参加しなければ完全に通り過ぎていく。

大人になった今、スマホの通知に追われる生活を送っていると、たまごっちを避けてきた選択が妙に一貫して見えてくる。呼び出され、反応を求められるものに、私は昔から距離を取ってきたのかもしれない。

それでも、たまごっちの話題が出るたびに、完全な無関心とは違う感情が芽生える。

最近妹の買い物に付き合わされ、ガチャガチャ専門店というものを知った。所狭しと並ぶガチャポンの中に、たまごっち関連の商品を見つけ、胸の奥がわずかにざわついた。同じ時代を生きながら、自分が通らなかった道を、偶然覗き込んでしまったような感覚。

流行に乗らなかった記憶もまた、一つの時代の生き方なのだ。

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